わたしと母の闘いの記録

私と母の今までとこれから。

さらなる絶望と、希望のはじまり

長らく間が空いてしまった。

自分の気持ちを吐露するのが怖かった。

 

私はこのブログを立ち上げ、20231016日に最初の投稿をしている。

そもそもとして何故こんなブログを立ち上げ、最初の投稿があんなに陰鬱な雰囲気だったかというと

私があの時、とてつもなく精神的に追い詰められていたからだ。

 

私は先月の今頃、毎日死にたい気持ちと生きたい気持ちの狭間で揺れていた。

正確に言えば、夏のあいだじゅうストレスを抱えていて、半分ノイローゼにもなりかけていた。

とある理由で、家にいる時間が苦痛で苦痛で仕方が無くて、どうにかその原因を解消したかった。

でも勇気が出なくて、ちっぽけなプライドが邪魔をして、ずっと一歩を踏み出せなかったのだ。

 

そして、そんな私の愚かさがすべてを壊してしまう。

 

 

20231017日、私の母は自宅にて自殺未遂をした。

そして……

ちょうど1ヶ月後である20231117日、母はとある病気により余命宣告を受けた。

母の余命は……わずか1ヶ月。

 

これは、私と母の闘いの記録。

 

今まで私に起こったこと、母に起こったこと、そしてこれから起こること。

誰かの記憶にではなく、私の記憶からなくさないために、忘れないために、刻み込むために、

ここにすべて残す。

私が今年7月頃から抱えていたストレスの原因も、私が母にしてしまったこともすべてここに残す。

正直、赤裸々に綴るのは恥ずかしいし情けない。今までの人生がずっと恥ずかしくて情けないものだったことを、不特定多数の人の目がある場所に書き連ねることは勇気がいるし、結局なんにもならないのかもしれない。自己満足なのかもしれない。

私が母にしてしまったことだって、人によっては私を悪魔と思うかもしれないし、私の行為を殺人未遂とさえ思うかもしれない。

 

だから本当は怖い。ものすごく怖い。

だけどここで私がすべてさらけ出すことで、私自身がラクになるのは勿論、同じような境遇の人が

少しでもラクになるのなら、きっとそれは無駄じゃない。

 

でもひとつだけ、今、ひとつだけ絶対の自信をもって言えることがある。

 

些細なことがきっかけで、親と喧嘩をしていたり、親に心ない言葉をかけてしまっている人、

きっとたくさんいると思う。

だって親といえど、他人なのだ。そしていろんな家族がいる。

ぜんぶわかり合うなんて無理な話で、すれ違うことはあるし、

どうしても受け入れられない要素を互いに持っていることもある。

 

だけどもしもそれが、何かひとつのきっかけや行動で改善できるようなことなら、間違わないで。

絶対に、何があっても修復できないほどの溝でないのなら……もしもそうでないのなら。

とんでもない後悔をすることになる。私のように。

今ある日常を絶対だと思わないで。時間は巻き戻せない。一度口から解き放った言葉は取り消せない。後悔してもなかったことにできない。

そしてその事実はとても苦しい。

ふとした瞬間に思い出しては息が出来なくなり、涙があふれてしまう。震えてしまう。心が折れそうになってしまう。

 

どうか、私のようにならないで。

 

今、母は意識が混濁していて正しく私の言葉を受け取ることができない。

どんなに謝っても、どんなに泣いても、どんなに縋っても、私は母にしてしまった仕打ちを謝ることができない。

それは謝ったという自己満足だ。母の心に本当に届かないうちは意味がない。

 

私は、毎日死へと確実に向かっている母と生きていく道を選んだ。

私の母は、来月の今頃もうこの世にいないかもしれない。

でも、私は母が生きるわずかな可能性にすべてを賭けているし、信じている。

 

母が病魔を打ち負かして、正常な判断が出来るその時、ちゃんと謝りたい、お礼を言いたい。

あなたがお母さんでよかったと、生んでくれてありがとうと、今心の底から母に伝えたい思いがある。

 

状況は決して良くはない。それどころかとても悪い。

でも必ず、この闘いに勝ってみせる。ひっくり返してみせる。奇跡を起こしてみせる。

 

これは、私と母の闘いの記録。