かたい決意
昨日、母を別の市にある大きな病院に転院させた。
入院先の病院には、母の病気をみてくれる専門の科がなかったためだ。
過去のことではなく、今について、一度綴る。
本当は怖い。文字に起こすのも怖い。
まだ認めたくないから。
そんなわけないと、心のどこかで否定したい。
でも現実を受けいれて、前に進むしかない。
母が頑張っているのに、私だけ目を背けるなんて卑怯だ。
私は母と一緒に闘う決意をしたのだから。
母は10月17日に緊急搬送されそのまま入院したが、ずっと病名がつかなかった。
原因不明の高熱、続く炎症反応……
確実に数値に出ているのに、原因が特定できない日々が続いた。
2日にいっぺん、バスで片道30分を行き来して会いに行っていたが、なぜか母は日ごとに痩せ、日ごとに話せなくなっていく。
違和感があった。何かが起きているのではないか……不安な日々が続いた。
そして入院から2週間後、やっと病気を特定できたのだ。
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫。
悪性リンパ腫の中では特に多く見られるものだという。
聞いた時はあたまが真っ白になった。
血液のガン……お母さんはガンになってしまってたんだ……
しかし、さらに詳しい説明を医師から受けた時、私は人生で経験したことのない絶望感を味わうことになる。
深い深い暗闇に突き落とされたような感覚だった。
母を襲っている病気はもっとよくないものだった。
血管内大細胞型B細胞リンパ腫。
これは……発症率100万人に1人の、恐ろしく稀なリンパ腫だった。
私の母は今、非常に稀で、非常に治療が困難な悪性リンパ腫と闘っている。
私には選択が迫られた。
転院し、抗がん剤治療を受けさせるか、今の病院で緩和医療を続けるか。
私は溢れ出る涙を止められなくて、どうしたらいいかわからなかった。
なぜなら、転院先の病院では母に面会ができない。会えなくなってしまう。
抗がん剤治療という、地獄のような苦痛を味わう母のそばについていてあげられなくなる。
でも、今のまま緩和医療を受け続けたら、毎日15分ずつ会うことができても、1ヶ月後には確実に母はこの世からいなくなっている。
説明を受けた後、母と2人になる時間も設けていただいた。
私はしゃくり上げるほど泣きながら、母に言った。
抗がん剤治療を受けなければ、お別れが近いこと。
でもその治療はとてもつらい。きっとお母さんは今までで一番苦しむことになる。
それでも、私とこれから生きるために、頑張れる?
私はまだ一緒にいたいけど、まだお別れしたくないけど、お母さんはどうしたい?
手を握って、泣きながら伝えた。
この時私は、本当によくないことだが、このまま母と一緒に死んであげたいとさえ思った。
母はもうほとんど喋ることができず、意識も常に混濁してる。
でもその時、母は確かに、はっきりと言った。
『あなたとT(弟)が生きてくれたらそれでいい』
『でも』
『がんばる』
『がんばりたい』、と。
私はその時、決意した。
これから先の私の人生が、どれだけ苦難に満ち溢れた地獄でもいい。どれほどの困難が降りかかっても構わない。
お母さんと一緒にこの病気と闘う。
一緒に生きていくために。
私の決断が正解かはわからない。
母は明日24日から抗がん剤治療を受ける。
私はそばで支えてやることができない。
今もこれを書きながら、母と暮らした家でひとり泣き続けている。
昨日、母と離れる瞬間、人生で一番苦しかった。
母を抱きしめ、手を握り締め、「一緒だよ。離れててもずっとそばにいるよ、お母さんが頑張ってる時、お母さんの手をぎゅっと握ってるから。一緒だからね」と何度も言って、母から離れた。
もう、会えないかもしれない。
そんな恐怖がぐるぐると思考も心も支配する。
母の寂しそうな顔が頭から離れず、心臓がずっとバクバクいっていて苦しかった。
でも、勝手な話だが……
私は母が奇跡を起こせると、思っているのだ。
ふとした瞬間にぼろぼろと涙が出てしまうし、ずっと良いことを想像していられるほどポジティブじゃない。
でも、なんでかな。
お母さん、私ね。
ぜんぶここからうまく回っていくんじゃないかって。そんな気がしてるんだ。
たとえば他の誰か、何百人何千人何万人が、この病気に打ち勝てない現実があるんだとしても、お母さんは勝てるんじゃないかって、漠然と、変な確信がある。
医者も看護師も、難しいと言っているし、実際そうだろう。
母は正直、今が危篤状態ですと言われても違和感がないほど状態が最悪だから。
でも、私は信じる。
母が起こす奇跡を信じている。
闘いはこれからだ。
明日から私は普通に仕事にも戻る。私に今できるのは、この体で、母の治療費を稼ぐことくらいだ。
私の心は母のところに置いてきた。
今、私に出来ることをやろうと思う。